2013年に横浜市からつくば市へ移住。
精密機器メーカー、国立大学法人の研究室にて翻訳者として勤務後、独立。
委託調査業務や産業翻訳の傍ら、発達障害の子どもを育てる保護者向け記事などを多数執筆。
2020年、自閉症スペクトラム障害の男の子の物語『キッズライクアス』(サウザンブックス社)をクラウドファンディングで翻訳出版。
夫と高校生の娘、中学生の息子、ミニチュアダックスフンドと暮らす。
2013年に横浜市からつくば市へ移住。
精密機器メーカー、国立大学法人の研究室にて翻訳者として勤務後、独立。
委託調査業務や産業翻訳の傍ら、発達障害の子どもを育てる保護者向け記事などを多数執筆。
2020年、自閉症スペクトラム障害の男の子の物語『キッズライクアス』(サウザンブックス社)をクラウドファンディングで翻訳出版。
夫と高校生の娘、中学生の息子、ミニチュアダックスフンドと暮らす。
「つくば未来リサーチ」代表として、調査研究・翻訳業務を行っている林さん。
つくば市への移住のきっかけを伺いました。
移住前は横浜市青葉区にある実家に2世帯で住んでいました。
子どもの成長とともに、住んでいる家が手狭になってきたため、上の子が小学校に上がるタイミングで、新しいところを探そうと決めました。
当時、私は出産を理由に大学院の博士課程を中退しており、いつか研究に戻りたいという思いを抱えていた時期でもありました。自分と似た境遇の方が周りにいなかったため、研究職の母親ならではの悩みを共有できる環境が身近にあればと思うようになりました。
そんなとき、つくばで研究員をする友人から「つくばは、子どもを保育園に通わせながら、博士課程での研究を両立する女性が多くいるので、気の合う人がいるのでは?」と言われて、つくばへの興味が湧きました。
もう1つ、私も夫も私立の中学受験を経験した際に苦い思いをしたこともあり、安心して公立に通わせることができる環境というのも移住の条件として重要視していました。
研究者としてのキャリアと子どもの教育環境、2つの軸から絞っていったところ、つくばが希望にバチッと当てはまったため、移住を決めました。
つくばに来て最初に戸惑ったのは、車社会であること。
私は、車の運転が苦手なため不安だったのですが、実際に車を走らせてみると、道が広く、見通しが良いため運転がしやすかったです。おかげさまでゴールド免許をキープしています。
夫は東京まで電車で通勤しているのですが、つくば駅はつくばエクスプレスの始発駅なので、座ることもできてとても楽なのだそうです。
当初は研究者を目指していたという林さん。出産や移住を経て、どんな働き方を選んだのでしょうか?
私は、大学でアメリカの移民についての研究をしており、博士課程に進んだときに上の子が生まれました。
赤ちゃんがいるとアメリカへ調査に行くことも難しく、体調を崩してしまったこともあり、博士課程を中退して一度研究を辞めることにしました。その後、精密機器メーカーに入社し、翻訳の仕事を始めました。
つくばへ移住後は、福島第一原子力発電所事故の放射線量を測る筑波大学の研究室で、日本語の論文を英語に直す仕事に就きました。
2年程働き、次の更新をどうしようかと考えていたところ、大学時代に調査と翻訳のアルバイトをしていた会社の上司から、「仕事を手伝ってほしいので、独立しないか?」と突然声がかかりました。丁度、調査研究の仕事に戻りたいと考えていたタイミングだったので、これはチャンスだと思い、『つくば未来リサーチ』を立ち上げました。
起業後は、労働災害について、「仕事中に起きる事故によって労働者が亡くなったり怪我をしたりするのをどうしたら食い止められるか」というテーマの海外調査を担当しました。その後、イギリスの法律やシンガポールの政策の研究など様々な分野の調査の依頼をいただくようになりました。
当初は調査の依頼が中心でしたが、翻訳の仕事にも挑戦したかったため、翻訳会社に登録するための試験を受けて少しずつ取引先を増やしていきました。おかげさまで現在は、調査と翻訳の両輪で仕事量がどんどん増えています。
ご依頼いただく調査の内容は、自分の専門分野とは全く異なりますが、また別の楽しさがあると思っています。大学院在籍中は、自分のために研究をしていましたが、今は人に喜んでもらうために、どんな研究でもやるというスタンスで取り組んでいます。
調査の依頼では、色々な国の法律や政策、指針などを調べて自分なりの視点でまとめ、提言するところまで全部行っています。ひとつのプロジェクトは半年程の期間で、調査結果は、学会発表や政府の分科会、研究員さんの著書などで使用されます。
翻訳の依頼は、会社の株主総会に出す資料の英語版や法律関係などジャンルを問わずさまざまな内容があります。コロナ以前はレストランのメニューやホテルの注意書きの英訳といった、インバウンド向けの依頼が多い時期もありました。
ご家族でのつくばの楽しみ方や子育てについても、伺いました。
つくばには、無料で楽しめるレジャーやイベントがたくさんあります。車を少し走らせれば、筑波山ハイキングなどでは自然が楽しめますし、夏休みには研究所のスタンプラリーを回るなど、科学的・文化的な活動を精神的・金銭的な負荷なく楽しめるのがいいですね。
他にもおすすめの場所がたくさんあります。
筑波山の近くにあるレストランの「つくば味工房」では、窯でピザを焼くことができて、畑で野菜も取り放題。犬好きなので、つくばわんわんランドも良かったですね。他には、下の子がすごく自動車が好きなので、自動車研究所も。ここでは年に2回、車の衝突実験を見ることができます。
筑波大学の学園祭「雙峰祭」も好きです。なかでも、人が馬の被り物をかぶって競馬をやる「松美記念」を毎年楽しみにしていました。
筑波大学では学園祭以外にも、子どもが参加できるイベントがいくつもあります。
中でも、子どもが描いた絵を芸術専門学群の人達が講評してくれる「夏休みアート・デイキャンプ」が大好きで、毎年参加していました。他にも「ヤングアメリカンズ」という団体のイベントは、子ども達が歌と踊りを3日間練習してショーをするという内容で、こちらも楽しませてもらいました。
つくばに住むことで、子ども達がのびのびした小学生時代を送ることができて良かったなと思います。
発達障害を持つ下の子についても、筑波大学の障害科学類の先生に、「今、こういう研究をしているので、実験に参加いただけませんか?」とお声がけいただき、お世話になりました。
教育研究科で学んだ先生が実施されている音楽療法を3歳ぐらいから受け始めたのをきっかけに音楽に興味を持ち、今はバイオリンを弾いています。
研究が教育や福祉とうまく融合しているというのは、大学が近くにあるつくばの街ならではのことなので、子どもを育てる親としてありがたかったです。
家については大体、東京よりは安く購入ができるので、広い敷地でゆとりをもって暮らすことができるのがいいですね。
私がつくばに来た当時は、周りが研究者ばかりだったため、研究に関係のある翻訳の需要が高く、たくさん依頼を回してもらえるのも助かっていました。
最近は、コロナをきっかけにテレワークが普及したことで、研究者以外にも都心から移住する会社員の方が増えています。
つくばは、海外も含めて様々な地域から人が集まる街で、何かきっかけさえあれば、どこでも友達や共通のコミュニティーを作ることができます。
何でも揃うし、これがやりたいなと思ったらすぐにアクセスできて、ゆとりがあって空気が綺麗。自分が身の丈で楽しく暮らせる街です。
最後に、お仕事やプライベートでの今後の目標についてお聞きしました。
仕事の目標という点では、プロジェクトが終わって落ち着くかなと思っても、意外なところから次の案件をいただいたりするので、もう身を任せています。ただ、自分の中にある研究者気質を大事にしていきたいという思いがあります。そういう意味では研究者の多いつくばは自分にぴったりです。
今後はつくばで研究をしている人たちとのネットワークをもっと広げていきたいし、自分の経験を生かして研究のお手伝いをしたりしたいです。あとは、そういう繋がりを活かしてつくばという街に関する問題解決や政策提言なども行っていけたらいいなと思っています。
プライベートでは、子ども達が高校や中学の部活で帰りが夜7時以降と遅くなり、夫婦ふたりの時間が増えたので、食べ歩きを楽しんでいます。飲み屋さんや、刺激のある辛い料理を2人で探して、行きたいところを全部リストにしたりしています。
車も、今まではファミリーカーでしたが、これから先は小さな車にしようかと考えています。
つくばは、子育て関連の情報はたくさんありますが、子育てが終わった後のおじさんおばさん向けの情報はまだあまり見当たらないので、夫婦ふたりで楽しめる大人のつくばを色々開拓していきたいですね。
他にも最近は、笠間エリアの魅力にはまっており、つくばを起点に茨城全体も楽しみたいです。
お話を伺っていて、つくばを選んだからこそ、自分らしい働き方や暮らしを実現できたのだと感じました。お子さんが大きくなってきたこととオンライン会議の普及で、「フルタイムの在宅勤務ができて嬉しい」と話す林さん、より一層のご活躍が期待できますね。
つくば未来リサーチ
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書籍「キッズライクアス」について
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フリーマガジン「茨女」は、茨城所縁の20〜30代の女性編集部がつくる“茨城県出身の女性を応援するメディア”です。
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茨女編集部 代表 川井 真裕美
株式会社MIITO CREATIVE(ミートクリエイティブ)代表取締役社長。グラフィックデザイナー/イラストレーター。フリーマガジン「茨女」代表。「茨城×女性×デザイン」という領域で、茨城県の魅力を発信しながら「よくばりな働き方を叶える!」ことを実践中。
茨女編集部 柴田 志帆
茨城県内の公共図書館で働く傍ら、フリーマガジン『茨女』の編集に携わる。
編著書に『全国タウン誌総覧―地域情報誌・ミニコミ・フリーペーパー・8700誌』(皓星社 2022)