筑波山麓の自然の中で暮らしに密着した藍染を行う【つく女】
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2023.07.31
筑波山麓の自然の中で暮らしに密着した藍染を行う【つく女】
フリーマガジン『茨女』編集部が、つくばエリアに移住・UIJターン(大都市圏から地方への移住)した女性「つく女」を取材。移住までのエピソードや仕事や暮らし、地域との関わり方についてお聞きします。 今回は、つくば市で藍染工房を営んでいる「藍染風布(あいぞめふうぷ)」の丹羽花菜子さんにお話を伺いました。

 

丹羽 花菜子(にわ かなこ)氏
丹羽 花菜子(にわ かなこ)氏
丹羽 花菜子(にわ かなこ)氏

北海道札幌市生まれ。2016年に都内からつくば市に移住。
東京都青梅市の藍染工房での勤務を経て、2017年から「藍染風布(あいぞめふうぷ)」として活動を始める。2020年に筑波山のふもとに工房を移転。衣類や生地の藍染加工を行うほか、作品展やワークショップを開催している。6歳女の子と1歳半男の子のママ。

天然の原料と化学反応から生まれる藍の青に向き合う

つくば市神郡(かんごおり)の自宅兼工房で藍染を行っている丹羽さん。どんなお仕事をされているのでしょうか?

「天然灰汁醗酵建て(てんねんあくはっこうだて)」という、自然界にある原料だけを使った昔ながらの藍染の手法で作品を制作しています。
今は子どもが幼く手がかかるので、アパレルメーカーさんから衣料品や靴紐を染める小ロットの注文や、店舗のれん作りといった小口のお仕事をメインに受注しています。
また、個人のお客さまからお洋服の染め直しのご依頼も受けています。綿や麻などの天然繊維であれば、お洋服の元の色が白や別の色でも藍染ができます。汚れやシミができてしまっても、気に入ったお洋服を長く着続けたいという想いから染め直しを選ばれる方が増えていますね。そのほか、年数回に絞って作品展を実施しています。


作品展の様子

藍染は、染液に浸した時点で色がつくわけではなく、浸したものを引き上げたときに空気中の酸素に反応して発色します。酸化が終わったらまた浸して引き上げてと、その繰り返しにより、色がだんだん濃くなっていきます。薄い色で仕上げたい場合は少ない回数の染色で、濃くしたい場合はひたすら回数を重ねます。
また藍の染液の元気の良さによっても、1回の染まり具合が違います。基本的には作ったばかりの染液の方が濃く染まり、使ううちに徐々に薄くなります。染液は、温度調節が必要で、夏は過発酵になりやすく、冬はヒーターで温める必要があるため、染める頻度や管理の仕方によっても寿命が変わる生き物のような存在です。


藍色の色見本帳

そんな藍色の濃淡を分かりやすくお客さまへ伝えるために色見本帳を用意しています。
濃淡は5種類で、淡い色から順に、甕覗(かめのぞき)、浅葱(あさぎ)、縹(はなだ)、紺、褐色(かちいろ)です。

色が生まれる瞬間の感動や緑の葉が青い色になる不思議さや美しさは、作品だけでは伝えきれません。そんな感動体験を少しでも多くの方々に知ってもらいたくて、藍染体験のワークショップも年に1、2回ほど開催しています。

学生時代から藍染の世界へ 筑波山のふもとに工房を構える

丹羽さんが藍染を始めたきっかけから、つくばに移住するまでの経緯についてお聞きしました。

美術大学で染色や織物を学ぶ中で、手で物を作ることに興味が向きました。
当時は、民芸や工芸といった日本の伝統文化に興味があり、伝統的な染色方法として藍染が思い浮び、東京の青梅にある工房に藍染体験に行きました。丁度スタッフを募集していたことをきっかけにアルバイトとして工房に入り、大学卒業後は、より深く技術を学び身につけたいと考え、そのまま就職しました。

工房では、染色と自社製品の企画のほか、経理や営業なども経験しました。制作だけでなく、多岐に渡る業務をこなしていくうちに、「もっと染めの美しさを表現したい、身に着けたり包んだり多様な用途に使える布を作りたい。」と思うようになり、独立を考えるきっかけになりました。

つくば市をはじめて知ったのは、2008年に商業施設の「イーアスつくば」がオープンした時のことです。
私の勤めていた工房がイーアスつくばに1年間出店しており、私も週1~2回店舗担当として通っていました。当時は、大学や研究施設があるアカデミックな街というのがつくば市のイメージで、田舎の風景が残っているエリアがあることは知りませんでした。


自宅から見える筑波山と田園風景

その後、夫が茨城県出身で職場がつくば市だったため、結婚を機につくば市に移住することになりました。私も夫も山が好きで田舎志向があり、自然を感じられる筑波山周辺に住みたいと家を探しましたが、移住当初は全く見つからず、研究学園エリアで生活を始めました。 藍染の制作も、借家のキッチンにポリタンクをいくつも置いて、趣味の延長としてお友達から頼まれて染めるところから始めました。
少しずつ仕事が増え手狭になってきたところで、改めてアトリエ兼自宅として使えるような物件探しを始めました。不動産屋さんから「藍染をやるなら神郡はどうですか?」と薦められ、筑波山を目の前にした風景がとてもいい環境の土地だったので購入を決めました。

地域の方や資源の力で つくばならではの藍染を

丹羽さんが藍染をする工程の中には、地域の方やモノがたくさん登場します。

子どもが生まれる前は、大きい畑を借りて蓼藍(たであい)を栽培していましたが、今は子育てもあり、仕事と畑の両立が難しいため、庭で種をつなぐ程度に栽培を続けています。

4年前から、つくばで農業をやっている友人が蓼藍の大規模栽培と蒅(すくも)という藍染の染料作りを始めてくれました。私は藍の栽培や染めの知識を彼らに伝え、畑作業を手伝いながら、つくば産の蒅を使った藍染を手掛けています。
蒅は、蓼藍の葉を乾燥させた後、水と空気の力だけで発酵させて作ります。水のかけ方や混ぜ方、温度管理には技術が必要です。筑波藍は始めたばかりなので、まだこれからというところもありますが、私はすごく気に入っています。農業大国茨城県のノウハウを生かして、この地域ならではの特色を出せたら面白いなと思います。


藍染の染料 蒅(すくも)

藍染の染液は、蒅に日本酒、小麦ふすま、木灰、貝灰を混ぜて発酵させて作ります。できるだけ地元の原料を使いたくて、日本酒は「男女川(みなのがわ)」を作っている稲葉酒造さんのお酒を使用しています。他にも、ふすまは自然農で小麦を栽培しているつくばの農家さんから分けてもらい、木灰は薪ストーブを使っている近隣の方々に分けてもらっています。

また、ご近所に藍染屋さんだったというお宅があり、100年前に作られた陶器の藍甕(あいがめ)が4つ、状態のいいものがたまたま残っていたので譲っていただきました。この地域の文化を大事に引き継ぎたいと思い、ありがたく使わせてもらっています。この辺りの農家さんは、昔は藍を育てて藍染屋さんに納めていたそうです。私が藍を育てていると、ご近所のおじいちゃんおばあちゃんが「それ、藍でしょう。懐かしいなぁ。」と声をかけてくださいます。

つくば市作谷(つくりや)に「ぷにの家」という長年染色をされている先輩と、土浦市板谷(いたや)に「futashiba248(フタシバ)」 という農作物の廃棄物で草木染めをするご夫婦のユニットがおり、その方達と一緒に「染染CLUB(そめそめクラブ)」という染色の活動団体を発足しました。お互いの活動を応援し合いながら、三者が集まることで生まれる化学反応を楽しんで活動しています。
今年の6月には、古布を染め直して暮らしの中で使える布に生まれ変わらせる「染フェス in つくばサステナスクエア」を開催しました。

筑波山で四季を感じ 自然とつながる豊かな暮らし

筑波山のふもとでの暮らしや子育てについてもお聞きしました。

普段の買い物はつくば市内の北条や大穂、下妻市のあたりに行きます。

子どもとお出かけするときは、桜が綺麗で有名な「大池公園」に行きます。「平沢官衙(かんが)遺跡」も芝生が広くて気持ちがいい場所です。筑波山の中腹には「筑波ふれあいの里」という、キャンプや沢遊びができる場所があって、子どもが大好きな長いローラースライダーもあります。山の湧き水が汲めるところが数ヶ所あるので、週に一度、水汲みに行って、お茶を入れるときなど生活の中で使っています。登山口から筑波山神社ぐらいまでなら、子どもと一緒に歩いて登れますね。


子どもたちと筑波山麓をお散歩する様子

筑波山が目の前にあると、四季の変化を体感しながら暮らすことができます。
夏は山の緑が濃く、秋になると紅葉、冬は雪がつくこともありますし、春になると山桜が咲きます。筑波山は山の中腹だけ気候が温暖なので、福来(ふくれ)みかんの栽培に適しているそうです。そんな気候からか、筑波山にかかる雲の形も様々で龍のような形になることがあります。「今日は面白い雲だな。」と思ったら一瞬で空が変わったりと、常に違う景色を見せてくれるところが好きですね。

食べ物の旬も以前は意識していませんでしたが、この辺は畑をやっている人も多く、「この時期はあれかな?」とご近所同士でおすそ分けする野菜にもルーティンが見えてきました。季節に採れる旬のものをいただきながら、季節ならではの景色を眺めながら暮らせるのは豊かだなと感じています。

今の場所に住み始めてから、地域の方との交流は増えました。仲間と一緒に自宅の隣の田んぼで稲作を営んでいるのですが、地主さんが気にかけてくれて毎日のように立ち寄ってくれます。新参者として、この土地に入らせてもらうのに少し不安もありましたが、歓迎してくださる方が多いです。うちの子と同世代の子どもも多く、子育て家庭が多い印象があります。


田植えをする様子

身の回りで、この季節にこういう花が咲くとか、カエルやバッタなどの色々な生命に触れられるのは面白いなと思います。畑の土を触ったり、藍の染液に触れたりするのも自然とつながるような感覚があり、今の自分にとっては心地良いです。子どもたちも裸足で庭を駆け回っていて、自然とつながる感覚を幼少期から養って感性が豊かになってくれればと思います。

つくばは、都会も田舎もあり、様々な国籍の多様な価値観の人たちが集まっているところが面白いですね。違う価値観を受け入れ合って、調和して創られている街だなと感じます。子どもたちにとっても、街の中で多種多様な価値観に触れることができ、将来の選択肢の幅を広げてあげられる良い環境だと感じています。

暮らしの変化に合わせ ものづくりも変わっていく

最後に、今後のご活動について伺いました。

小野崎にあるカフェ「Cox」の敷地内にある「Shingoster LIVING」というギャラリーで毎年作品展を行っています。お洋服や暮らしの道具作りをしている東京のブランドTANSUさんとの2人展を今年の10月14日(土)〜29日(日)に開催予定です。
TANSUさんの布を私なりに染めると共に、手ぬぐいやハンカチ、バンダナといった暮らしの中で使える布物を展示する予定です。

子どもが生まれてからは洋服などの身につけるものを作り始めました。娘に淡い水色のワンピースを作ったり、息子にろうけつ染めで鯉のぼりを作ったり。家族のためのモノづくりも、子どもがいるからこそ様々なインスピレーションが湧きます。
住まいと工房が続いているので、仕事と暮らしが密着せざるを得ないのですが、それが自分のモノづくりの特色となって面白いのかなと感じています。子どもの成長に合わせてと暮らしの形も変化していくので、その時そのときの暮らしの中で、やりたいことが生まれてくると思います。自分が楽しく取り組めて、暮らしが楽しくなるような制作をその時々の閃きにしたがって続けていきたいですね。

今、庭では藍以外の染色ができる植物も植えています。黄色く染まる小鮒草(こぶなぐさ)は、藍と掛け合わせて緑色に染められるので、作品作りに幅が出そうで楽しみです。他にも、渋柿の苗を植えて柿渋の染液も作れたらいいなと考えており、藍の色をより面白くするような取り組みをしていきたいと思っています。

「藍の魅力は、人と自然の叡智です。寿命を終えた染液は、畑に流すことで肥料となり、また次の藍が育ちます。」と話す丹羽さん。藍染の工程の循環と共に、筑波山麓で行われていた藍染を今に蘇らせ受け継いでいくという循環も感じました。空の広さと緑の豊かさが印象的な土地で、藍のある暮らしを楽しむ丹羽さんに魅了されました。

フリーマガジン「茨女」とは?

フリーマガジン「茨女」は、茨城所縁の20〜30代の女性編集部がつくる“茨城県出身の女性を応援するメディア”です。
「茨女」は、2013年11月1日にFacebookページに記事を掲載したことから始まりました。
「茨女」を通して、茨城県内外で活躍する茨城県出身の女性一人ひとりの人生を応援し、茨城県出身の女性のロールモデルとなるような人物を取り上げていき、マガジンを読んでくれた人に何らかの活力や勇気を与えられるようにとの思いで活動しています。また、茨城県出身の活躍する女性をピックアップし、世界に発信することで都道府県の魅力度ランキング最下位常連だった茨城県のイメージを払拭し、「人」が、「環境」が魅力的という観点から茨城県の良さを広めていきたいと考えています。

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茨女(いばじょ)|茨城県出身の女性を応援するサイト
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http://www.ibajyo.com/

 

取材をしたひと
取材をしたひと

茨女編集部 代表 川井 真裕美

株式会社MIITO CREATIVE(ミートクリエイティブ)代表取締役社長。グラフィックデザイナー/イラストレーター。フリーマガジン「茨女」代表。「茨城×女性×デザイン」という領域で、茨城県の魅力を発信しながら「よくばりな働き方を叶える!」ことを実践中。

この記事をかいた人
この記事をかいた人

茨女編集部 柴田 志帆

茨城県内の公共図書館で働く傍ら、フリーマガジン『茨女』の編集に携わる。
編著書に『全国タウン誌総覧―地域情報誌・ミニコミ・フリーペーパー・8700誌』(皓星社 2022)

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